【三】治世の武士には学問も大切

乱世のころとは時代が違う

武士というものは、農、工、商の上に立って、物事を行う身分のものであるから、
学問をも修め、広く物事の道理を心得ておらねばならぬ次第である。

 しかしながら、乱世の頃の武士は、十五、六歳ともなれば、必ず初陣に立って、一人前の働きをしたものであるから、十二、三歳ともなれば、乗馬、槍、弓、鉄砲、そのほかいっさいの武芸を身につけねばならなかった。

 したがって、見台に向かって書物を開き、机によって筆をとるなどという暇などはほとんどなく、自然と無学文盲となって、一文字ひとつ書けぬような武士が戦国の頃にはいくらでも居たものである。
 だが、これは本人の心がけや親の教育が悪かったというわけのものではなく、当時は武芸第一に励むことが必要であったから、このようになったのである。

 現在、平穏な時代に生まれあわせた武士にしても、武芸の心得がいいがげんであってよいという訳ではないが、乱世の武士のように、十五、六歳になれば必ず初陣に立たねばならぬという世の中ではないのであるから、十歳を過ぎたころからは、四書、五経、七書等の書物を読ませ、手習いもさせて、ものを書けるように注意深く教え、さて十五、六歳ともなって、次第に体力もつき、元気になってくるにつれて、弓矢、馬術、その他いっさいの武芸を身につけさせるようにするのが、治世の武士が子供を育てる正しい道といえよう。
 右に述べたような乱世の武士が文盲だということには、一応の理由もあるが、治世の武士が無筆文盲であっては、その言い訳はできない。

 もっとも、子供については幼少のことであるから、それを責めるわけにもいかない。
すべては親の油断、不始末といより他はない。
それも結局、本当の子供への愛情ということを知らぬためと言えよう。

 以上、初心の武士の心得のために申すものである。

【内省】

当時、身分階級の上下こそあれど、上に立つ身分の者は、上に立つだけの器量を身に着けねばならぬ。
というのが、友山の考え方ではなかろうか。

しかし、十五、六歳で初陣(戦争に行く)のを宿命づけられた人生というのも、ただ身分が上というだけではない、厳しさを感じさせる。
高校生位の子に、命をかけて戦い、家名を汚さず、死に様は潔くといっても、いったい幾ばくの人間がそれを行えるのだろうか。

やはり、当時の世の厳しさを痛感させられる。

ましてや、私のような親父ができてないのは
真に恥ずかしいかぎりである。

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