営業時間短縮協力金
最近は
11月及び12月の
感染拡大防止に向けた営業時間短縮協力金申請の
お手伝いをしてました。
申請は2種類のやり方
①郵送での、レターパックライトを使ったやり方。
②オンラインでの申請(画像添付等が必要)
まあ、特段難しいという事はないのですが
やはり、高齢者のマスター・ママにとっては
不慣れで、苦手意識が強いようです。
人に頼んだり
税理士さんに頼んでる人も多いようです。
そして、話を聞いていると
協力金の2割や
20万円など・・
様々な報酬を払っているよう。
まあ、頼んだ人にすれば
自分ではできないのに
頼んでお金が入ってくるなら
まあいいわ。
という事なのでしょう。
代行してる人にとっても
良い収入源かもしれませんね。
(別に良し悪しを言いたいのではありません)
一人の税理士さん
けれど、そんな中で
私の知っている、ひとりの税理士さんは
一切、申請の手数料を貰ってないそうです。
先生、曰く
みんなが困ってる状況で
そんな中やから
本当は貰うべきなのかもしれませんが
私は貰ってないんです。
と。
そんな話を聞いたせいもあってか
何故か私も
気付いたら
お手伝いしてます。
自分の持ってる「知識」「スキル」が
少しでも役に立てばと。
思い返せば
そう思う経緯には
アルベルト・シュバイツァー(第一次大戦中の、ドイツ人医師)と、
昔、怪我して欠場中に働いた
【児童福祉施設】の影響が大きいのだなと、自分では思ってます。
アルベルト・シュヴァイツァー
シュヴァイツァーは、生涯をアフリカの地元民への医療へ捧げ
(当時、医者すらいない地域の)
戦争による立ち退きや、妨害を乗り越えて
生涯に渡って、地元民への奉仕しを続けました。
医者であり、神学者、哲学者、音楽学者だったそうです。
バッハ研究の、有名人でもあります。
その価値観の中に
「生命への畏敬」というものがあり
生命への畏敬とは、シュヴァイツァーの思想と実践の根底にある考え方である。
人間をはじめとして生命をもつあらゆる存在を敬い、大切にすることを意味する。彼は生命あるものすべてには、生きようとする意志が見出されるとする。この生きようとする意志は、自己を完全に実現しようとする意志である。
シュヴァイツァーはこの事実から出発して、すべての人が自己の生きようとする意志を大切にすると同時に、自分と生きようとしている他の生命をも尊重しなければならないと考えた。
それは自己と他者、および生命あるものとの共存をめざす考え方であり、アフリカでの医療活動はまさにその実践であった。
wikipediaアルベルト・シュヴァイツァーより
当時の私の主観を交えるなら
こう解釈しています。
私とあの人たちの違いは何なのか?
私達は、たまたま
こういう生い立ちに生まれる事ができただけであって
それは、運である。
であれば、持つものが、持たざるものに与えること
それは「義務」である。
この世の、生きとし生けるもの
私やあなた。動物や蚊ですら
この世の全ての生命は、
「生きたい」「幸せになりたい」と思っている。
そう思えば、どんな生命も粗末にできなくなる。
と。
児童福祉施設
そういう気持ちを、心に持ちつつ
私は、プロレスの試合で
左肘の腱を断裂してしまい。
断裂したまま、半年間試合をし続けた挙げ句
いよいよとなり。
手術をしました。
で、そのリハビリ中で
収入を得る為に働いたのが
その児童福祉施設なのです。
そこは、健常児と障害者の児童
両方を受け入れており
両親が働いている間や
学校が終わってからの
親御さんが迎えに来られるまでの時間を預かったり
ご自宅まで
送ったりします。
わたしの中で
その中で
重度の障害を持つ
児童の担当になる事もあり
色々、考えました。
児童によっては
言葉も喋れません。
排泄物も漏らします。
語弊を恐れずに言うのなら
知能指数や、理解力も
犬や猫並みではないのかと思われました。
けれど感情はあるのです。
嬉しければ喜び笑い。
悲しければ、声をあげて泣くし。
腹が立てば、大声で叫び反抗します。
そして調べてみると
得てしてそういう
重度の障害者の子は
短命なのですね。。。
一人では生きられず
人生も長くない
その子達の幸せとは何かと
真剣に考えたんです。
そして、両親の方も
その子を愛し
社会的自由や、沢山のものを犠牲にしつつも
それを犠牲とは思わず。
共に人生を歩んでいる。
人の親になるという事は
母親になるという事は
こういう事なのかと
当時の私は、感嘆と畏敬の念を抱きました。
甦る言葉
そうした中で
かつて耳に触れた
アルベルト・シュヴァイツァーの言葉が
甦ってきました。
私とあの子たちの違いは何なのか?
私は、たまたま
こういう健康な体に生まれる事ができただけであって
それは、ただ運が良かっただけである。
であれば、持つものが、持たないものに与えるのは当然であり
それは「責務」である。
この世の、生きとし生けるもの
この世の、全ての生命は
「生きたい」「幸せになりたい」と願っている。
そう思えば、どんな生命も粗末にできなくなる。
と。
結論
全ての答え
正解は、未だ見いだせてないのですが
自分にできる事で
誰かが少しでも喜ぶなら
もしかしたら
短い人生・長い人生に
少しでも彩りが加えられれば
良いなと思ったりします。
バッハ 主よ人の望みの喜びよ
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